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リベンジの奈良へ!-03 [観光]

今回はじっくりと観察してきましたが長谷寺の魅力は尽きませんね、コロナ過が。収束すればまた行きたいですね。
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ご訪問ありがとうございました。

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リベンジの奈良へ!-02 [観光]

境内には所狭しと牡丹の花が飾ってありました、仁王門から入り登廊を登る所の両側にも綺麗に植えてありました、花を観察するだけでも満足が行く長谷寺ですね。
 
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御衣黄 (ぎょいこう)も咲いておりました。
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続く
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ご訪問ありがとうございました。
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リベンジの奈良へ! [観光]

前回に行った時には分からずに行きまして長谷寺が牡丹の寺と云う事を分かりませんでした、10mを越す大きな観音様のお御足に直接触れることが出来る、特別拝観も体験してきました。今回は5月の初旬に行き牡丹を堪能してきました。
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長谷寺は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は豊山、院号は神楽院。本尊は十一面観音、開山は僧・道明とされる。西国三十三所第8番札所
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本尊十一面観世音菩薩立像
木造 像高1,018.0cm
重要文化財 室町時代 本堂
長谷寺のご本尊さまは、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ、いわゆる長谷寺式十一面観世音菩薩です。
開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきました。
現在の御尊像は、室町時代の天文七年(1538)に大仏師運宗らによって造立されました。
像高三丈三尺六寸(1018.0cm)。我が国で最も大きな木造の仏さまで、その堂々としたお姿には全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせます。
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雨宝童子立像
木造 総高178.1cm
重要文化財 室町時代 本堂
本尊に向かって左脇侍。初瀬山を守護する八大童子のひとり、また天照大神としても信仰されております。
頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、裳を着し袍衣を纏っています。
天文六年(1537年)から七年にかけて大仏師運宗らによって本尊と共に造立され、像内には多くの納入品が納められていました。
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菩薩立地蔵像
木造彩色
重要文化財 平安時代
頭部、体部ともに桧の一材で造られ内刳りがほどこされています。台座などところどころ後世に補修されていますが、おだやかな面ざし、衣紋の流れなどに平安期の香りを伝えています。
右手の指をわずかに衣にかけている造形は極めて珍しく、地蔵菩薩の中でも特異な存在といえるでしょう
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難陀龍王立像
木造 総高213.0cm
重要文化財 鎌倉時代 本堂
本尊に向かって右脇侍。本尊造立の際に影向した八大龍王のひとり、また春日明神としても信仰されております。
頭上に龍を頂き、唐冠を被った老貌で中国風の服を着ています。
正和五年(1316)に大仏師舜慶らによって造立されました。
明応四年(1494)、天文五年(1536)の火災を免れ、像内には多くの納入品が納められていました。
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銅造十一面観世音菩薩立像
銅造 総高86.1cm
重要文化財 鎌倉時代
右手に錫杖、左手に水瓶を持った十一面観世音菩薩像です。 寄木造の法を模して各部を別鋳で組上げています。
やや吊り上がった目に張りのある顔容は特異ですが、宝相華唐草文様を透彫りした光背の意匠は見事です。鍍金もよく残り鎌倉時代の金銅仏として大作です。
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不動明王坐像
重要文化財
平安時代
右手に宝剣を握り、左手に羂索を執って坐っています。頭髪は弁髪として左肩に垂らし、左目を眇めて牙を上下に出しています。
台座と光背は室町時代の再造ですが、像容は古様を表わし衣文も粗く刻まれており、寺伝には天台宗の智証大師円珍の作と伝えています。
(HPより抜粋)
16日に続きます

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大井川鉄道 [観光]

ここ今年の春に行って来たんですがなるべく密に成らないように混んでいる所は避けて写してきました。
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ご訪問ありがとうございました。
 

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東福寺-Ⅲ [観光]

摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
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明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
イメージ図工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。
 明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
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イメージ図円爾弁円(えんにべんえん)といい,三井園城寺の学徒として天台の教学を究め,のち,栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝について禅戒を受け,嘉禎元年(1235年)34歳で宋に渡り,在宋6年,杭州径山の
無準の法を嗣ぎ,仁治2年(1241年)7月に帰朝しました。
 まず筑紫に崇福・承天二寺を建てて法を説き,名声は次第に国内に及んで寛元元年(1243年)には藤原(九條)道家に迎えられて入京,道家に禅観密戒を授けました。次いで東福寺開山に仰がれ,同4年(1246年)2月には山内の普門寺を贈られて常住しました。
 その後,宮中に宗鏡録を進講し,後深草天皇の勅を奉じて,京都岡崎の尊勝寺,大阪四天王寺,奈良東大寺などの大寺院を観閲し,また時には延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので,学徳は国中に讃えられ,遂に建長6年(1254年)には幕府執権北条時頼に招かれて,鎌倉の寿福寺に住することとなりました。
 翌7年6月,一条実経の東福寺落慶供養にあたり帰山,爾来東福寺に住し,弘安3年(1280年)10月17日79歳で入定(にゅうじょう)しました。聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので,日本禅僧最初の賜号です。
 中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え,文教の興隆に多大の貢献をしましたが,また水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し,今日,わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えたことも見逃せない功業です
延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
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鐘 楼
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東福寺は終わります。
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ご訪問ありがとうございました。
 

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東福寺-Ⅱ [観光]

摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
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明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
イメージ図工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。
 明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
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イメージ図円爾弁円(えんにべんえん)といい,三井園城寺の学徒として天台の教学を究め,のち,栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝について禅戒を受け,嘉禎元年(1235年)34歳で宋に渡り,在宋6年,杭州径山の
無準の法を嗣ぎ,仁治2年(1241年)7月に帰朝しました。
 まず筑紫に崇福・承天二寺を建てて法を説き,名声は次第に国内に及んで寛元元年(1243年)には藤原(九條)道家に迎えられて入京,道家に禅観密戒を授けました。次いで東福寺開山に仰がれ,同4年(1246年)2月には山内の普門寺を贈られて常住しました。
 その後,宮中に宗鏡録を進講し,後深草天皇の勅を奉じて,京都岡崎の尊勝寺,大阪四天王寺,奈良東大寺などの大寺院を観閲し,また時には延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので,学徳は国中に讃えられ,遂に建長6年(1254年)には幕府執権北条時頼に招かれて,鎌倉の寿福寺に住することとなりました。
 翌7年6月,一条実経の東福寺落慶供養にあたり帰山,爾来東福寺に住し,弘安3年(1280年)10月17日79歳で入定(にゅうじょう)しました。聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので,日本禅僧最初の賜号です。
 中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え,文教の興隆に多大の貢献をしましたが,また水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し,今日,わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えたことも見逃せない功業です
延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
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経堂
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通天橋(秋には紅葉が色鮮やかに綺麗に見えます)
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ご訪問ありがとうございました。
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東福寺 [観光]

摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
イメージ図工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。
 明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
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イメージ図円爾弁円(えんにべんえん)といい,三井園城寺の学徒として天台の教学を究め,のち,栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝について禅戒を受け,嘉禎元年(1235年)34歳で宋に渡り,在宋6年,杭州径山の
無準の法を嗣ぎ,仁治2年(1241年)7月に帰朝しました。
 まず筑紫に崇福・承天二寺を建てて法を説き,名声は次第に国内に及んで寛元元年(1243年)には藤原(九條)道家に迎えられて入京,道家に禅観密戒を授けました。次いで東福寺開山に仰がれ,同4年(1246年)2月には山内の普門寺を贈られて常住しました。
 その後,宮中に宗鏡録を進講し,後深草天皇の勅を奉じて,京都岡崎の尊勝寺,大阪四天王寺,奈良東大寺などの大寺院を観閲し,また時には延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので,学徳は国中に讃えられ,遂に建長6年(1254年)には幕府執権北条時頼に招かれて,鎌倉の寿福寺に住することとなりました。
 翌7年6月,一条実経の東福寺落慶供養にあたり帰山,爾来東福寺に住し,弘安3年(1280年)10月17日79歳で入定(にゅうじょう)しました。聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので,日本禅僧最初の賜号です。
 中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え,文教の興隆に多大の貢献をしましたが,また水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し,今日,わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えたことも見逃せない功業です
延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
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三 門
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本 堂
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五社成就宮
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つづく
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ご訪問ありがとうございました。

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京の旅 南禅寺周辺 [観光]

早くこんな風に旅行をしたいですね、いつ終わるとも知れない今回のウィルスですが今回のように3000人も陽性者が出ると他県などでも増えているんですよね、関西方面や沖縄でも増加しているようですからね、政府はこれに関して何が原因なのかも把握してなようですね、ただ単に若い人の行動範囲が広がっているからとか無責任な事を云っているようですがこれすべてがオリンピックが要因ではないでしょうかね。
オリンピックが出来るんだからと安易に考えての行動が原因だと思いますね、
地方ではスポーツの大会なども遣っているようですしコンサートなども開催している県もありますからね。
すべてに関しては尾身さんの言うように中止にすべきだったんではないでしょうかね。
アスリートには気の毒ですがそれがベストだったと思いませんか?
オリパラが終わるとどうなるのかが心配ですね。
と云う事ですがゆっくりと京都辺りを歩いてきたいですよね。
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南禅寺は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山、正式には太平興国南禅禅寺と号する。開山は無関普門。開基は亀山法皇。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ。
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水 楼 
重厚なレンガ造りのアーチ橋は、琵琶湖の湖水を京都市内に引く「琵琶湖疏水」を通すため、明治23年(1890年)に建てられた橋で、正式名称は「南禅寺水路閣」(全長93.2メートル、高さ14メートル)。
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レトロな水楼閣は着物姿も映えるフォトスポットとしても有名ですね。
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赤く紅葉する時期には終息してほしいですね。
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ご訪問もありがとうございました。

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史跡田中城下屋敷 [観光]

島田市はこの橋から始まります。
【蓬莱橋の歴史】
 
1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣たちが大井川右岸、初倉にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。
そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し、これが許可され、1879年(明治12年)1月13日に蓬莱橋が完成しました。
しかし、蓬萊橋は木橋のため、大井川の増水のたびに被害を受けてきたので、1965年(昭和40年)4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となりました。
1997年(平成9年)12月に「世界一長い木造歩道橋」として英国ギネス社から認定を受け、全国的にも有名な観光名所となりました。
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史跡田中城下屋敷
江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった下屋敷は、城の南東隅にあたり、築山・泉水・茶室も設けられて、四季の草花や月見の名所として知られていました。庭園跡を史跡公園として整備をすすめ、田中城ゆかりの建築物(市指定有形文化財4件)も移築・復元し公開しています。
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ご覧いただきましてありがとうございました。

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牧場アイス [観光]

苺を食べた後は牧場に行ってアイスクリームを食べに行きました。
NEOPASA駿河湾沼津にも出店しているアイスクリームや牛乳が美味しい牧場なんです。
ジャージー種やホルスタイン種とブラウンスイス種がいます、真ん中の明るいブラウンの色がジャージーです牛乳も濃いですね。
すべて撮影はLUMIX DMC-TZ10
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.これはブラウンスイス種です。
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ホルスタイン種.
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花も咲いておりました。
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こんな不思議な鏡が有りました。
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一日中孫達と楽しく過ごしました、孫達は部活で土日も休みなしなんです。
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ご訪問ありがとうございました。

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