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岩本山へ!ーパートⅣ [花]

さて岩本山の梅も最終回に成りました。
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岩本山シリーズもこれで終わりですまた次回桜のシーズンにアップ致します。
ご訪問ありがとうございました。

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岩本山へ!-03 [花]

さて岩本山の梅の続きに成ります。
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次回は梅のパートⅢに成ります。
ご訪問ありがとうございました。

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岩本山へ!-02 [花]

金曜日に行きましたが梅はもう少し間を置いた方がいいのかなと思いました。
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次回は梅のパートⅡです、
ご訪問ありがとうございました。

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岩本山へ! [花]

富士市に有る小高い山が有るんですが此処は公園に成って居りまして蝋梅や梅が咲き春から夏にかけて四季を通じて賑わう所なんです、夏の夜は夜景が楽しめるんです。
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蝋梅の花は公園の頂上に植えてあるんです。
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このような階段を上がると・・・・
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小鳥達の観察や小動物に富士山も目の前に広がっているんですよ。
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次回は梅の花
ご訪問ありがとうございました。

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薬師寺-02 [観光]

薬師寺の創建と平城京への遷寺
薬師寺は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。
しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。
 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。
710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。
遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。
当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 
その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。
特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。
そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。
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工事中の為この写真はお借りしました。
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東塔
天平2年(730)に建立された。三重塔であるが五重塔と匹敵する高さで、
白鳳様式に倣い建てられており、法隆寺、法起寺に次ぐ古い様式の塔である。
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西塔
東塔と並ぶ位置に建つ「西塔」は、東塔が築1300年であるのに対し、
こちらは昭和56年(1981年)に再建された比較的真新しい建築となっています。東塔と異なり、朱色に塗られた華やかな外観となっている西塔は、東塔が改修によって一部の建築様式が変更されているのに対し、奈良時代当時の姿に一層近い佇まいを再現したものとなっており、裳階部分の「連子窓」などが東塔と異なる様式となっています。

ご訪問ありがとうございました。

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薬師寺-01 [観光]

法相宗大本山 薬師寺
薬師寺の創建と平城京への遷寺
薬師寺は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。
しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。
 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。
710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。
遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。
当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 
その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。
特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。
そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。
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玄奘三蔵院
平成3年(1991)に玄奘三蔵を祀る堂として建立され,右の玄奘三蔵の像が安置されている。
玄奘三蔵(602-664)は西遊記で有名であるが、インドより多数の経論を持ち帰って訳し
唐の仏教に多大な貢献をした。
法相教学の祖である。
薬師寺には玄奘三蔵の遺骨が分骨されたことはよく知られているが、その遺骨はここに
祀られている。
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金堂
金堂は薬師寺の中心のお堂で、本尊薬師三尊像【国宝】をお祀りしています。
金堂は、二層建てで各層に裳階もこしをあしらう薬師寺を代表するお堂です。
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ご訪問ありがとうございました。
薬師寺-02へ

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法輪寺-02 [観光]

法輪寺
法輪寺(ほうりんじ)は、法隆寺の北東約1.5kmの場所にあります。
別名は三井寺(みいでら)。
創建は飛鳥時代の622年(推古30年)という古い寺院。
聖徳太子の病気回復を願い、太子の子である山背大兄王らが建立したといわれます。
法隆寺式の伽藍配置で、創建時にあった三重塔は、残念ながら1944年(昭和19年)の落雷で焼失してしまいました。
現在の三重の塔は1975年(昭和50年)に再建されたもの。
また、創建時のものとされる仏像が7体あり、いずれも重要文化財に指定されています。
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ご訪問ありがとうございました
明日は東京競馬場にてフェブラリーステークスの推奨馬をアップ致します。 

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法輪寺-01 [観光]

法輪寺
法輪寺(ほうりんじ)は、法隆寺の北東約1.5kmの場所にあります。
別名は三井寺(みいでら)
創建は飛鳥時代の622年(推古30年)という古い寺院。
聖徳太子の病気回復を願い、太子の子である山背大兄王らが建立したといわれます。
法隆寺式の伽藍配置で、創建時にあった三重塔は、残念ながら1944年(昭和19年)の落雷で焼失してしまいました。
現在の三重の塔は1975年(昭和50年)に再建されたもの。
また、創建時のものとされる仏像が7体あり、いずれも重要文化財に指定されています。
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法輪寺-02へ
ご訪問ありがとうございました。

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法隆寺-最終! [観光]

法隆寺の概要 
法隆寺は、聖徳太子と推古天皇が飛鳥時代の607年(推古15年)に創建しました。 現存する世界最古の木造建築群として重要な史跡であり、「法隆寺地域の仏教建造物」のひとつとして世界文化遺産に登録されています。
 西院は創建時からの法隆寺の伽藍で、東院は創建時以前から聖徳太子の宮である「斑鳩宮」があった場所です。
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五重塔
五重塔(ごじゅうのとう)は西院伽藍の中央にあり、金堂の西隣に建っています。
日本最古の五重で国宝。
心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められています。
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法隆寺は、 奈良県 中西部、生駒郡斑鳩(いかるが)町の中部に所在しています。
飛鳥時代の607年(推古15年)に聖徳太子と推古天皇により創建されました。
東大寺 と並ぶ奈良県を代表する観光スポットで、修学旅行や団体旅行の定番としても高い人気のある場所。
古い歴史を持ち、国宝・重要文化財も多数あり、1993年(平成5年)には「法隆寺地域の仏教建造物」のひとつとして、ユネスコの制定する世界文化遺産に登録されました。
ご訪問ありがとうございました。

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法隆寺-03 [観光]

法隆寺の概要
 法隆寺は、聖徳太子と推古天皇が飛鳥時代の607年(推古15年)に創建しました。 現存する世界最古の木造建築群として重要な史跡であり、「法隆寺地域の仏教建造物」のひとつとして世界文化遺産に登録されています。
 西院は創建時からの法隆寺の伽藍で、東院は創建時以前から聖徳太子の宮である「斑鳩宮」があった場所です。
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金堂
金堂は西院伽藍最古の建築で、軒の出の深い安定した姿が美しい。入母屋造り二重の瓦屋根と下層の裳階(もこし)の板葺きの対比、
これに奥深い軒下の垂木(たるき)や雲斗・雲肘木が調和して快いリズムを奏でています。
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次回は五重塔へ最終!
法隆寺は、 奈良県 中西部、生駒郡斑鳩(いかるが)町の中部に所在しています。
飛鳥時代の607年(推古15年)に聖徳太子と推古天皇により創建されました。
東大寺 と並ぶ奈良県を代表する観光スポットで、修学旅行や団体旅行の定番としても高い人気のある場所。
古い歴史を持ち、国宝・重要文化財も多数あり、1993年(平成5年)には「法隆寺地域の仏教建造物」のひとつとして、ユネスコの制定す。
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ご訪問ありがとうございました。

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