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薬師寺-02 [観光]

薬師寺の創建と平城京への遷寺
薬師寺は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。
しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。
 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。
710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。
遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。
当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 
その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。
特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。
そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。
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工事中の為この写真はお借りしました。
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東塔
天平2年(730)に建立された。三重塔であるが五重塔と匹敵する高さで、
白鳳様式に倣い建てられており、法隆寺、法起寺に次ぐ古い様式の塔である。
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西塔
東塔と並ぶ位置に建つ「西塔」は、東塔が築1300年であるのに対し、
こちらは昭和56年(1981年)に再建された比較的真新しい建築となっています。東塔と異なり、朱色に塗られた華やかな外観となっている西塔は、東塔が改修によって一部の建築様式が変更されているのに対し、奈良時代当時の姿に一層近い佇まいを再現したものとなっており、裳階部分の「連子窓」などが東塔と異なる様式となっています。

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