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京都 伏見稲荷神社01 [観光]

私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」
全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれています。その総本宮が伏見稲荷大社です。
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沿革
欽明天皇がまだご幼少の頃のある日のこと「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になられた時にかならずや、天下をうまく治めることができるでしょう」という夢をみました。
天皇は目覚めてから早速方々へ使者を遣わされて探し求められたところ、山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいたのです。
天皇はこれを大いに喜ばれて早速彼を宮廷に呼び寄せられ、「今までに何事かなかったか」と問われたところ、彼は「別段何もありませんでしたが、伊勢のほうへ商いに行っての帰り道、山(稲荷山南麓の大亀谷)にさしかかったところ、二匹の“おおかみ”が血を出しながら争うのを見つけましたので、馬より降り、口をすすぎ、手を洗って『汝は貴い神であるため荒い事などを好まれるが、もし狩人が来たならばたやすくとらわれてしまうから争うのはおやめなさい』と血をぬぐって山へはなしてやったので、その“おおかみ”は二匹とも命を全うできました」と答えました。そこで天皇は、「夢で見たとおりの人に会えたのは、おそらく神のおかげであろう」と仰せられて、彼を厚く遇せられ、やがてにぎわいを呈するようになり、即位されると共に、彼を今でいう大蔵省の重席に任じたとあります。
 
稲荷大神のご鎮座は秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))によって和銅四年(711)2月初午の日に、なったと伝えられており、秦大津父とこの伊呂巨(具)との200年たらずの脈絡についてはほとんど不明です。しかし不明であるから全く関連はないとは言えないでしょう。
深草の里が早くから開拓されて、人の住むところであったことは深草弥生遺跡に見ることができます。
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つづく
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