ミモザと木蓮?? [花]
葡萄のような花が色づき・・・・・ [花]
毒は植物体全体に含まれています。樹皮,根皮には多く含まれ、果実,葉,花にも含まれます。材部にも多くはないものの含まれます。動物たちは食べないように避けているようですが、間違えて飼料の中に入れてしまうと食べるらしく、中毒してしまい、量が多いと死んでしまいます。
アセビは、有毒成分を含んでいますが、人間は逆にそれを利用もしてきました。葉や茎を煎じて毒成分を抽出し、農作物の害虫駆除に使ったそうです。また昔のくみ取り式のトイレでは、ウジ虫を殺すのに使われました。
毒を利用するのは人間だけではありません。シカも食べずに避けて通るアセビの葉を好んで食べる昆虫がいます。ヒョウモンエダシャクです。この蛾は、アセビ、ハナヒリノキ、レンゲツツジなどのツツジ科の有毒植物を食草にしています。ヒョウモンエダシャクの幼虫は毒をもつアセビを食べて体に毒を蓄積します。毒は成虫になっても残ります。何も知らない鳥はこの蛾を食べてひどい目に遭います。そして次からは決して食べようとはしません。学習効果抜群です。覚えてもらえるなら目立つ方がいいのでしょう。ヒョウモンエダシャクは蛾の仲間にしては目立つ姿をしていますし、見つけられやすい昼間に活動します。生き物の世界はいろいろあって面白いです。
沼津御用邸記念公園 [観光]
沼津御用邸の沿革
沼津御用邸は明治26(1893)年、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために造営されました。御用邸は皇室が主として保養のために用いる別邸で、いわばリゾート施設です。当時、このあたり一帯は楊原村と呼ばれる小さな漁村でしたが、気候が温暖なうえ、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地であることから別荘地として注目されはじめて、すでに大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)の別荘が建てられていました。彼らはいずれも明治政府の高官です。川村純義伯爵が後に皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮)の養育係になっていることを考えると、この4人の存在が御用邸設置に大きく影響したものと思われます。加えて明治22(1889)年に東海道線が開通して、東京からの交通の便がよくなったことも理由の一つにあげられます。 本邸は明治25年末から翌26年にかけて最初の新築工事が行われ、同年7月に竣工しました。御座所(居間)、御寝室、御食堂、湯殿、臣下詰所などを含む1,200平方メートル(370坪余り)の木造平屋建ての和風建築でした。
その後、明治28年から29年にかけて最初の増築工事が行われ、御座所はおよそ100坪増築され、その結果従来の御座所は旧御殿、新しい部分が新御殿と新旧二つの御殿になりました。その他侍医の詰所や女官室など臣下の詰所も整い、建築面積は当初の2倍になりました。また御玉突所も新築、牛舎や厩舎などの附属建物もしだいに整備され、馬場も新設されました。
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