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沼津御用邸記念公園 [観光]

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二十四節気・雑節等
啓蟄
二十四節気の一つ 旧暦二月節気
巣籠もりの虫戸を開く
七十二候の一つ(7候)。
スチュワーデスの日
1931(昭和6)年、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われた。140人の応募に対し、合格者は3人だった。
ミスコンの日
1908(明治41)年、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表した。これが日本初のミスコンテストとなった。1等に選出されたのは小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になった。
たまごの日
毎月5日。日本養鶏協会、日本卵業協会など関係団体が制定。
[[著名人の誕生日・命日]]
珊瑚の日
「さん(3)ご(5)」の語呂合せと、珊瑚が3月の誕生石であることから。
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今回はザ~~と見て回りましたので調度品や家具のみが記憶に残っております。

沼津御用邸の沿革

沼津御用邸は明治26(1893)年、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために造営されました。御用邸は皇室が主として保養のために用いる別邸で、いわばリゾート施設です。当時、このあたり一帯は楊原村と呼ばれる小さな漁村でしたが、気候が温暖なうえ、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地であることから別荘地として注目されはじめて、すでに大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)の別荘が建てられていました。彼らはいずれも明治政府の高官です。川村純義伯爵が後に皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮)の養育係になっていることを考えると、この4人の存在が御用邸設置に大きく影響したものと思われます。加えて明治22(1889)年に東海道線が開通して、東京からの交通の便がよくなったことも理由の一つにあげられます。 本邸は明治25年末から翌26年にかけて最初の新築工事が行われ、同年7月に竣工しました。御座所(居間)、御寝室、御食堂、湯殿、臣下詰所などを含む1,200平方メートル(370坪余り)の木造平屋建ての和風建築でした。
その後、明治28年から29年にかけて最初の増築工事が行われ、御座所はおよそ100坪増築され、その結果従来の御座所は旧御殿、新しい部分が新御殿と新旧二つの御殿になりました。その他侍医の詰所や女官室など臣下の詰所も整い、建築面積は当初の2倍になりました。また御玉突所も新築、牛舎や厩舎などの附属建物もしだいに整備され、馬場も新設されました。

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ご訪問ありがとうございました。

週末に素敵な事が起きますように!

 

 

 

 

 

 

 


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