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富士山世界遺産センター [観光]

静岡県富士山世界遺産センター(しずおかけんふじさんせかいいさんセンター)
県産ヒノキを用いた木格子からなる逆さ富士の外観が特徴であり、富士山麓の湧き水を引いた前面の水盤に映ると「正富士」のように見えるよう設計されている。水盤には鳥居が建てられており、富士山本宮浅間大社との連携を図っている。館内は北棟・西棟・展示棟から構成され、展示棟は四季の富士登山を疑似体験できる内装となっており、最上階に着くと実際の富士山を一望できる。
建築デザインはプリツカー賞受賞者である坂茂であり、テーマは「富士の水の循環と反映」です。
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遠くからも“福慈神”を拝む『遙拝』が富士山信仰の起源。
富士山の信仰は、その美しさからはじまったわけではありません。富士山が噴火していた昔、そのあまりにも激しく吹き上げる火焔に、当時の人々は怒る神の姿を重ねていました。
静岡県富士宮市には、縄文時代中期の遙拝祭祀場跡と思われる遺跡が見つかっていて、いにしえより噴火する富士山に畏怖の念を抱いていたことが分かります。「遙拝」とは、遠く離れた場所から拝むことで、それこそ富士山には近づけないために神聖な場所を選び祭祀場としたのでしょう。山宮浅間神社(富士宮市)では、拝殿や本殿がない遙拝所として当時の面影を残しています。
いつしか「福慈神(ふじのかみ)」と名付けられた富士山の神霊は、平安期に「浅間大神(あさまのおおかみ)」と呼ばれるようになります。その頃の富士山は荒れに荒れており、鎮めるために山麓に浅間大神を祀ったのが、富士山本宮浅間大社のはじまりと言われています。朝廷内でも富士山の噴火は重く受け止めていました。浅間大神の階位を「明神」から「従三位」さらに「正三位」へと短期間に上げていることからも、焦りのようなものが感じられます。
富士信仰は、富士山そのものを神と見立てるなど、何らかの形で富士山を信仰・崇拝の対象とすることであり、代表的なものとして、浅間信仰(せんげんしんこう。 富士浅間信仰とも)がある。 その他、著名なものに村山修験や富士講などがある。
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命木花咲耶姫
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女。まさに美人薄命を絵に描いたような神様です。天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に一目惚れされ、妻となったとあります。日本神話で最も美しいと誉れ高い女神です。
古事記や日本書紀などでは別名で登場することも多く、山の神の娘であったころの名は、神阿多都比売(カムアタツヒメ)や神吾田鹿葦津姫(カムアタカアシツヒメ)などと表記されています。木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は3人の御子を産みました。その三男である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)ですが、山幸彦という別名で知る人も多いのではないでしょうか。
富士山世界遺産センターの後ろの神社富士山本宮浅間大社が有名
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04へつづく
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